深夜2時の約束:おにぎり1個が語る、老人が遺した最後の愛
コンビニの深夜シフトという仕事は、孤独と隣り合わせだ。深夜2時、自動ドアの乾いたチャイムとともに、その老人はやってくる。
半年間、欠かさず同じ時間に。 店内に入るなり、まっすぐ棚へと向かい、一番端にある「鮭おにぎり」を一つだけ手に取る。レジに並ぶ時も、小銭を出す時も、口を開くことは一度もなかった。ただ静かに会釈をし、冷たい夜の街へと消えていく。
私は勝手に、彼を「鮭おにぎりのおじいさん」と呼んでいた。 ある日は雨の夜だった。またある日は、猛烈な吹雪の夜だった。それでも彼は、いつも変わらず現れた。その無機質なルーチンは、まるで時計の針のように私の深夜のシフトを刻んでいた。
しかし、その夜から、彼はぴたりと来なくなった。
一週間が過ぎ、二週間が過ぎた。店内の空気は、どこか間の抜けた静けさに包まれた。あのおじいさんは、どうしたんだろう。まさか、体調でも崩したのか。そんなことを考えていた頃、一人の身なりの良い中年男性が店を訪ねてきた。
「父がお世話になりました」
その人は、遺影に収まった「鮭おにぎりのおじいさん」の写真を掲げた。驚きで声が出なかった。男性は、父が生前、私に渡してほしいと書き残したという一通の小さなメモを差し出した。
震える手で封筒を開くと、そこには丁寧な筆跡でこう書かれていた。
『半年間、毎晩美味しいおにぎりをありがとう。おかげさまで、妻との最後の大切な約束を果たすことができました』
メモは続いていた。
『妻は半年前の今日、この世を去りました。生前、妻は私の握るおにぎりが大好きでした。でも、妻がいなくなってから、私はどうしても自分で握ることができなかった。あなたの店で買うあの鮭おにぎりは、妻が好きだったものと味が似ていたんです。 今日までの180個のおにぎりは、天国の妻への手向けでした。180個並べ終わった今日、私はようやく、妻のところへ行こうと思います。寂しい夜を温かい光で照らしてくれて、本当にありがとうございました』
私は、深夜のコンビニの明かりを見上げた。 いつも無機質に感じていた店内の蛍光灯が、今はやけに眩しく、そして少しだけ温かく感じられた。
彼が毎日買いに来ていたのは、ただのおにぎりではなかった。 それは、過ぎ去った日々と、これから向かう場所へ繋がる、彼なりの「最後の晩餐」だったのだ。
翌日の深夜2時、私はいつも通り店内の棚を整理した。 一番端には、鮭おにぎりを一つだけ置いておく。誰かが買うわけでもないそのおにぎりを見るたびに、私は彼と彼の妻が交わした、静かで途方もなく深い愛の物語を思い出す。
深夜のコンビニには、時折、言葉にはならない深い感情が立ち寄っていく。 私は今日もレジの前に立ち、誰かの大切な夜を守り続けている。