偏差値30の彼を救った、退職間近の「無口な数学教師」の遺言
「どうせ俺なんて、公式の一つも覚えられないゴミだ」
窓際の席で教科書を床に投げ捨てる僕の偏差値は30。教師たちはあきれ顔で通り過ぎ、クラスメイトからは「透明人間」として扱われていた。そんな僕の高校生活は、出口のない迷路のようなものだった。
そのクラスの担任は、退職を間近に控えた数学教師・佐藤だった。佐藤は授業中、ほとんど喋らない。淡々と数式を書き、チャイムが鳴れば教室を去る。彼にとって僕は、空気と変わらない存在だと思っていた。
ある日の放課後、誰もいなくなった教室で僕は一人、自分の人生を嘆きながら黒板に落書きをしていた。すると、ふと目に留まった。黒板の右隅、いつも佐藤が去り際に残していく「たった一つの計算式」が、昨日とは変わっていた。
『 $f(x) = \lim_{n \to \infty} (1 + \frac{1}{n})^n$ 』
「何なんだ、これは……」
次の日も、そのまた次の日も、佐藤は黒板の隅に不思議な数式や、見たこともない図形を書き続けた。解説は一切ない。ただ、その数式だけが、僕の無気力な毎日に唯一の「変化」を与えていた。
僕は悔しかった。この無口な老人が、自分を馬鹿にしているような気がした。だから、絶対に解いてやろうと決めた。参考書を買い、図書館に通い、深夜まで頭を抱えた。初めて「わからないことが、知りたい」という感情が芽生えた。
一ヶ月後、僕は初めて佐藤に自分から話しかけた。 「先生、あの数式、答えは『$e$』ですよね。これ、何の意味があるんですか?」
佐藤は初めて、僕の方を向いた。そして、しわくちゃな手で僕の肩を軽く叩き、一言だけ言った。 「積み重ねだよ。どんなに小さくても、毎日ほんの少しずつでも自分を掛け合わせ続ければ、いずれ想像もしなかった高みに到達する」
その日から、僕の猛勉強が始まった。佐藤が残す数式は、まるで僕の成長に合わせて難易度が上がっていくようだった。僕の偏差値は30から、嘘のように上がり続けた。
そして迎えた卒業式。教室の黒板には、いつもの数式ではなく、大きな白いチョークでこう書かれていた。
『 $x$ を信じろ。君の可能性は、無限($\infty$)に発散する』
式の横には、退職する佐藤の辞令が置かれていた。彼は病を抱えていたことを、卒業式の直前まで誰にも言わずにいたという。あの数式は、僕という一人の落ちこぼれに託した、佐藤の最期の授業だったのだ。
卒業証書を手に、僕は空を見上げた。あの日、黒板の前で項垂れていた自分には、今の自分の姿なんて想像もできなかった。
佐藤先生。あなたのくれた数式は、今も僕の心の中で、未来に向かって解き続けられている。答えが無限であると信じて。