祖母のレシピノートが解き明かす、記憶のパズル
祖母が他界して半年。実家の片付けをしていた私の手元には、一冊の古びたノートが残されていた。
表紙には「献立帳」と書かれている。しかし、ページをめくって私は首をかしげた。そこには「カレー」や「肉じゃが」といった料理名の代わりに、『雨の日の午後の焦燥』『公園の砂場の金曜日』『遠くで鳴る汽笛の味』といった、奇妙な言葉が書き連ねられていたからだ。
晩年の祖母は認知症を患っていた。家族の名前さえ曖昧になり、最後は自分の鏡像にさえ怯える日々を送っていた祖母が、なぜこんなノートを遺したのか。私はふと、一番最初のページにあった『初夏の微熱、砂糖控えめの卵焼き』という献立を試してみることにした。
祖母の指導通り、砂糖を極限まで減らし、焦げ目がつくほどしっかり焼いた卵焼き。一口食べた瞬間、脳裏に雷鳴のような衝撃が走った。
「いい? これがあなたのお父さんが、初めて家を出ていった日の味よ」
幼い頃の祖母の声が、まるで目の前で囁かれているかのように鮮明に聞こえた。父が就職で上京したあの日、寂しさを隠すために祖母が作り、二人で黙々と食べた卵焼き。その時の張り詰めた空気、祖母の震える指先、そして「頑張ってきなさい」と送り出したあとの深い孤独感。忘れていたはずの記憶が、味覚という名の鍵穴を通って、一気に溢れ出したのだ。
それからというもの、私はノートの解読に没頭した。
『冬の夜の冷え込み、たっぷりすりおろした大根の味噌汁』を作れば、父が会社で失敗して帰ってきた夜、祖母が何も聞かずに差し出した温かさの記憶が蘇る。 『日曜の朝の焦げたトースト』を再現すれば、両親の離婚騒動の最中、私たち姉弟を必死で守ろうと必死に笑っていた祖母の、かすかな震えが心に突き刺さる。
祖母にとって、このノートは「献立帳」ではなかった。 認知症によって少しずつ削られていく自分自身の心を、決して消してはならない記憶の錨(いかり)として、料理という形に昇華させていたのだ。
最後のページには、何の料理名も書かれていない空白のページがあった。しかし、そこには震える筆跡で、こう書き添えられていた。
『忘れてしまっても、大丈夫。あなたは私の愛そのものだから』
すべてを失っても、たった一つ、愛した人たちとの記憶だけは味覚の奥底に刻み込もうとした祖母の執念。私は、空っぽの台所で、熱い涙を流しながら一人分の卵焼きを焼いた。
それは世界で一番苦くて、そして誰よりも温かい、家族の記憶の味がした。