遺された「何もない」という最高傑作
その家は、街の外れで異彩を放っていた。積み上がった古新聞、錆びついた空き缶、何かの部品のようなガラクタの山。近所の住人たちは鼻をつまみ、その家の主である老人を「ゴミ屋敷の住人」と呼び、軽蔑の眼差しを向けていた。
老人がひっそりと息を引き取ったのは、冬の冷え込みが厳しい朝のことだった。行政による片付け作業が始まると、そこから出てきたのは驚くべき光景だった。ガラクタの奥に隠されるようにして、数千枚ものキャンバスが積み重なっていたからだ。
それらはすべて、狂気じみた情熱で描かれた絵画だった。色鮮やかな抽象画、細部まで執拗に書き込まれた風景画、そして何かを訴えかけるような人物画。しかし、どの絵にも共通していたのは、あまりの圧倒的な「情報の過多」だった。色は塗り重ねられ、絵の具は厚い層となり、キャンバスからはみ出すほどの熱量が渦巻いていた。
片付けを担当した業者の青年は、その数千枚の絵を整理しながら、ある違和感を抱いた。どの絵も素晴らしい技術で描かれているのに、なぜかどれも「何か」が欠けているような気がしたのだ。まるで、何かに蓋をするために必死で描き殴っているような、そんな印象を受けた。
作業の最終日、一番奥の壁に立てかけられた、ひときわ大きな木枠を見つけた。他の絵とは明らかに違う。埃を丁寧に払うと、そこには一枚の真っ白なキャンバスがあった。
汚れ一つない、眩いばかりの白。
青年は息を飲んだ。下地さえ塗られていない、真新しい、ただの白い布地。しかし、そのキャンバスの裏側には、震えるような細い字で、こう書き残されていた。
『ようやく、邪魔なものがすべて見えなくなった。これが、私が一生かけて描きたかった景色だ』
青年はその瞬間、老人がなぜゴミの中に埋もれるようにして暮らしていたのかを悟った。
老人は、かつて画家を目指していたのかもしれない。しかし、彼にとっての世界はあまりにも騒がしく、美しすぎた。目に入るすべての色が、すべての風景が、彼にとっては「描かなくてはならない強迫観念」だったのだ。周囲に溢れるゴミやガラクタは、彼が自分自身の視覚を遮断するために、あるいは、この世界を塗りつぶすために積み上げた壁だったのだろう。
数千枚の絵は、彼が自分を表現するために描いたものではない。彼が「目にしてしまった世界」を一つずつ消し去り、最後に何も残さないための闘いの記録だったのだ。
彼は孤独だったのではない。あまりに多くのものが見えすぎていたのだ。
真っ白なキャンバス。そこには、何も描かれていないのではない。彼を苦しめていた世界が消え去り、ようやく手に入れた「何もない自由」が描かれていたのだ。
青年はキャンバスを抱きかかえ、窓を開けた。外には、冬の澄んだ空が広がっている。老人が生涯をかけて「塗り潰した」後の、透明で、どこまでも広がる真っ白な世界。
彼はそっとキャンバスを立てかけ、その場を離れた。ゴミだと思われていた家から、この日、一人の芸術家がようやく本当の自由を手に入れて旅立ったのだと、青年は確信していた。