世界一短いラブレターを、私は「自分」に送っていた
「明日も、生きてみようと思う」
その一行だけが書かれた封筒が、私の郵便受けに届き始めたのは、人生が暗闇に閉ざされていた半年前のことだった。
差出人の名前はない。ただ、宛先は私の住所で、切手が丁寧に貼られているだけ。誰かの悪戯か、あるいは誰かの間違いか。そう思って放っておこうとした矢先、私はその手紙を読み、衝動的に返事を書いた。
「どうして、そう思うの?」
翌日には、返事が届いていた。 「あなたが笑うから」
それから、私たちは手紙を交わし続けた。相手は決して自分の名前を明かさなかったけれど、私が仕事で失敗して泣いた夜には「君の代わりはいないよ」と励まし、恋人に別れを告げられた朝には「新しい君に会えるね」と背中を押してくれた。
誰だか知らないその人は、私のすべてを知っているようだった。私の弱さも、隠しておきたい恥ずかしい過去も、鏡を見るたびに嫌いになる自分の顔も。その人は、私の一番の理解者であり、この世界で唯一、私を無条件で肯定してくれる存在だった。
ついに私は決心した。この「見知らぬ誰か」に会いに行こう。もう、画面越しや紙の上の言葉だけでは足りない。直接会って、心からの感謝を伝えたい。そう思って、私は手紙に書かれていた消印と、以前手紙に同封されていた「配送先」のメモを頼りに、その場所へと向かった。
たどり着いたのは、街外れの古い鏡製造メーカーの倉庫だった。
「すみません、ここに『手紙』の送り主はいませんか?」
受付の老人は、私の顔をじっと見つめ、奥の大きな鏡の部屋へと案内してくれた。そこには、壁一面を埋め尽くすほどの、巨大な鏡が鎮座していた。
「ここには誰もいないよ。あるのは君だけだ」
老人の言葉に戸惑いながら、私は鏡の前に立った。 そこに映っていたのは、やつれた顔をし、不安げに目を潤ませた一人の人間。見知らぬ誰かだと思っていた相手は、どこにもいなかった。
ただ、鏡の横に置かれた棚に、見覚えのあるレターセットが積み上げられていることに気づいた。私は震える手で、その一番上に置かれたメモを開いた。
『世界一短いラブレターを、届けてくれてありがとう』
その瞬間、すべての点と線がつながった。 私が悩みを吐露し、返事を待ちわび、自分自身を慰めていたその半年間。私は、鏡に映る自分という「他人」を、必死に救おうとしていたのだ。
鏡の中の私は、相変わらず情けなく、弱々しかった。けれど、不思議と今の私には、その姿が以前よりもずっと愛おしく見えた。私は、これまで誰よりも厳しく自分を責め続けていたけれど、この手紙たちを通じて、唯一無二のパートナーである自分自身を、ようやく許すことができたのだ。
私は鏡の前の自分に向かって、口を動かした。声には出さなかったけれど、唇は確実にこう告げていた。
「愛してる」
鏡の中の私も、同じように微笑んだ。 私はカバンからペンを取り出し、その場で一番小さな紙に、世界で一番正直な言葉を綴った。
「また明日」
私は鏡の向こうの親友と共に、再び歩き出すことにした。人生はこれからも続いていく。けれど、もう孤独ではない。私には、一生離れることのない、最高の文通相手がいるのだから。